筒城宮って。

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今回は、京田辺市に都があったという話を紹介させていただきます。

日本書紀によりますと、第26代継体天皇(継体大王)が枚方の樟葉宮で即位し、治世5年目の511年に都を筒城に遷されたとされます。
518年に弟国宮(長岡京市)が造営されるまでの8年間はここ、京田辺市が都となっていたのです。(都といっても平城京や平安京のように碁盤の目に整然と整備されたものではありません)

筒城宮があったことを示す考古学的な証拠はありませんが、京田辺市の「興戸から高木・南山・普賢寺の間」とする説(『山城名勝志』)、「多々羅の西方、普賢寺の御所ノ内」とする説(『山州名跡志』)、さらに「多々羅の都谷」説(『山城綴喜郡誌』)などがあります。
『田辺町史』は、都谷説をとっており、田辺町郷土史会(現、京田辺市郷土史会)がこの都谷という地名をよりどころとして昭和37年4月15日に「筒城宮址」の伝承地石碑を建てました。碑は高さ2mの生駒石に、元宮内庁掌典長で明治神宮宮司であった甘露寺受長氏の筆で刻まれています。
この碑は、同志社大学京田辺キャンパス内で見ることができます。

観光協会のホームページで、この碑のほか市内にある石碑を紹介するページを設けています。
ぜひご覧ください。 :arrow:こちら
平成23(2011)年には、筒城宮遷都1500年を迎えます。関係自治体や同志社大学等とも連携しながら何かイベントができたらと考えています。

ちなみに、地元の方が、鯖江市指定文化財(天然記念物)の薄墨桜(継体天皇が植えたとされる桜の孫桜)の若木を移植しようと取り組んでおられます。
詳細は、また今後お知らせしたいと思います。

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