和束町と堺市のタイアップイベントを見学

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6月5日に和束町へ行き、宇治・和束茶と観光の取り組みについて、勉強をさせてもらったところですが、
その和束町さんと大阪府堺市さんがタイアップして「堺旧港観光市場」というイベントに取り組まれると
聞きましたので6月13日に見学に行ってきました。

このイベントは、旧港を活気づけようと堺市で毎月第2日曜日に行っているもの。
堺といえば、千利休が生まれた町であるため、「利休のふるさと堺」を印象づけるミニ茶席が展開され、
宇治・和束茶と大阪府生菓子協同組合堺支部で作られた和菓子のコラボで提供されました。

私も一服いただきました。:mrgreen:

堺と京田辺のつながりといえば、一つに茶道があります。:idea:
茶の湯は、村田珠光、やがて武野紹鴎を経て、千利休へと受け継がれ、千利休によって茶道が開花して
います。
村田珠光は一休禅師に参禅されており、一休寺には、村田珠光の作と伝えられるお庭があります。
もう一つは、徳川家康つながりです。:idea::idea:
堺にいた徳川家康が三河の国へ逃げ帰った「伊賀越えの道」のルートに京田辺が含まれています。

堺には、南宗寺というお寺があります。
この南宗寺には徳川家康のお墓があります。
後に第2将軍秀忠(和束町の主である和子:松姫、後の東福門院(まさこ)が天皇家に和束町を化粧料
として持っていた土地(御料地)の父)や3代将軍家光も、墓参りに来たと言われています。

以下、社団法人堺観光コンベンション協会のホームページより引用
「大阪夏の陣の時、真田幸村の奇襲を受けて輿にのって逃げ出した家康。しかし大坂方の猛将・後藤又
兵衛は怪しいと睨んで槍でついた。家康はそのまま南宗寺で絶命。しかし死去はふせられ、家康の影武
者が活躍。家康の遺体はひそかに日光東照宮へ運ばれ葬られたという」こんな伝説がまことしやかにさ
さやかれる南宗寺。二代将軍・秀忠、三代将軍・家光が相次いで寺を参詣したのも、実は家康の死が起
因しているとの説が伝えられています。
ちなみに、社団法人堺観光コンベンション協会のホームページはこちら
:arrow:社団法人堺観光コンベンション協会ホームページ

さてさて、第2京阪道路が開通したことで、堺はぐーん:!!:と近くなりました。
堺市は政令指定都市であり、人口も多いので、堺から京田辺へもたくさんの方が訪れられたらいいのに
と感じた1日でした。:wink:
私も今度は、南宗寺へ行ってみようかと思います。

byイニ:-D